こんにちは六条です。
最近雨ばかりですね。
さて、大正7年(1918年)3月7日、今から101年前、
パナソニックの創業者松下幸之助氏は
松下電器器具製作所を創立しました。
大阪府門真市に拠点を置く電器メーカーの会社です。
昨年2018年に開館したパナソニックミュージアムでは今年1周年を迎える為、記念企画展が開催されます。
開催期間:2019年3月7日(木)~4月20日(土)
今回、1918年の創業時から太平洋戦争や高度経済成長を経て現代に至るまで、
松下幸之助氏とパナソニックの歴史を抜粋して紹介します。
『ナショナル』マーク
1927年、自転車用角型ランプを販売し、この商品から『ナショナル(NATIONAL)』の商標の使用が始まりました。
1987年に使用中止となっていますが、『ナショナル』のロゴ書体『ナショ文字』が1937年に制定されました。
ロゴは、松下幸之助氏が閃いた
ナショナルの文字を円で囲んだものの上下に『電光マーク』がポイントです。
戦時中の苦悩、3つの心得とは
軍需産業とは、軍隊で需要があるものを製造したり、軍隊に対して販売したりすることで、利潤を得ている企業群の総称です。『武器商人』、『死の商人』などと呼ばれることもありました。
社主は、戦争のために事業本来の目的を見失い、また軍需生産の進出により経営が放漫に流れるのを戒め、
昭和14年(1939年)3月16日、「経営の心得」「経済の心得」「社員指導及び各自の心得」を通達します。
「経営といひ商売といひ、これ皆公事にして私事にあらず」
に始まるこの「3つの心得」は、
激動する情勢下において、一条の光となり、全員の心を支えました。
パナソニックは1943年8月、軍需産業に本格参入し、その後、波乱万丈の経営歴史を辿ります。
開封予定は西暦6970年!?5000年後に開封されるタイムカプセル!!
この事業は、1970年当時の文化の記録を5000年後の人類に残そうというもの。
2098点の物品と記録が当時最新の保存技術により、
2機のタイムカプセルに収納され、
大阪城公園に埋設されました。
1号機は5000年間静置されるもので、
2号機は西暦2000年に第1回目の開封を行い、この年から100年毎に点検を行うものです。
1970年に埋めたタイムカプセルは、2000年に引き上げられた時、
2098点のうち173点点検され、
炊飯器やテレビなど大きな問題もなく正常に作動しました。
次回の点検と動作確認は2100年です。
このタイム・カプセルと地上部の付属施設は、文部省の管理下に置かれています。
その他の歴史や経営ノウハウ
関東大震災の影響を受け一度は会社が崩壊
選挙に当選
従業員を会員とした会を作り、運動会や演芸会を催して全員の一致団結を図る。
GHQに50回以上抗議しに行く。
PHP(Peace and Happiness through Prosperity)研究所の設立。
新政治経済研究会の発足。
関西日蘭協会を設立。
オランダフィリップ社『経営指導料』を要求するなど経営に価値を置く。
週5日制の導入。
昭和38年、国際経営科学委員会(CIOS)の中で
「経営者は自己評価ができることが必要である。そのために、正しい経営理念を持たねばならないが、それには正しい人生観に立ち、かつ社会観、国家観、世界観、そして自然の摂理までも同時に勘案することが大切である」と
経営哲学についてスピーチしています。
松下幸之助氏は
度重なる苦悩に陥りながらも、
チャレンジ精神と行動と言葉で経営を示し続けた人でした。
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