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長崎:被爆三世の私だから伝えられること

カテゴリー:体験

『世界は変わった。もう二度と元に戻らない』

この言葉は原爆を完成させたロバート•オッペンハイマー博士が、同僚に呟いたとされた言葉です。

 

長崎に原爆が落とされた1945年、私の祖母は4歳でした。

 

私の娘は2018年現在3歳です。

 

祖母が1945年4歳の頃に原爆の被害にあったと想像すると、言葉になりません。

 

タイムマシーンがあれば今すぐ助けてあげたい、私一人じゃ歴史を変られなくても側にいて守ってあげたい。

 

私は祖母と母と妹の女4人家族で同じ屋根の下、15歳まで一緒にいました。

 

よく歯磨きやお風呂の水の使い方、食事、ティッシュの使い方など、『勿体ない!私が子どもの頃は食べるものも水も何もなかったとよ!大切に使いなさい!!』

と説教され育ちました。

 

事あるごとに戦後の貧しい暮らしの話をし『あんたは良かね』と切なそうに言っていたのを子どもながらに覚えています。

 

祖母は学校が終われば畑仕事を手伝い、川に流れているご飯粒を食べながら生きてきたそうで、私が公園に遊びに行く前には必ず『家の手伝いしてから行きなさい!』『働かざるもの食うべからず!』と言って家の手伝いをさせられました。

 

私はと言うと毎回屁理屈タラタラのわがまま娘でした。言うことも聞かず文句ばっかり言って遊んでばっかりでした。子どもの頃はみんなそうですよね?

 

 

祖母の父は2歳の頃に戦死、母は祖母の姉だけを連れて大阪へ行き、祖母は長崎にひとり残され親戚のもと両親がいない心細さと貧しさの中で育ちました。

 

みんな貧しくて大変な時代。本当に苦労したそうです。

 

今でも私はおばあちゃんが大好きで何かしてあげられることはないかと考えています。

 

沢山わがまま聞いて叶えてあげたいと思っていますが、なかなか願いを言いません。

 

私は孫なので被爆三世にあたります。

 

毎年夏休みの8月9日は登校日で

 

長崎全域にサイレンが鳴り響き、11時2分に黙祷します。

 

その後、被爆者の実体験の講話を聞き感想文を書きます。

 

長崎では当たり前にある行事です。

 

実体験を語るおじいちゃん、おばあちゃん達は辛い経験を思い出すことで言葉がつまり涙を流しながらお話をしていました。

 

私は自分のおばあちゃんから原爆が落ちた日の話を聞いたことがありません。

怖くて質問もできません。

 

しかし

私の子どもが大人になる頃、次世代では、

 

原爆を体験した人は私の祖母を含めこの地球上から全員居なくなるでしょう。

 

まだ祖母が生きている間に

 

私の娘に戦争が生んだ犠牲者の言葉を少しでも残せたらと思います。

 

戦争や争いからは何も生まれない。

 

核融合技術の進展は、善か悪か。

なぜ人は進歩を望むのか。

 

人は空に憧れて飛行機を発明した。

特攻隊に使われる為じゃない。

 

人間の素晴らしい技術は間違ったほうに使ってはいけない。

 

もう悲惨な歴史や罪のない犠牲者を生むようなことは終わりにしないとですね。

 

 

 

争いはなぜなくならないのでしょうか。

 

人間でいる以上争いはなくならないのかもしれません。

 

 

いっそ何もなかったことにする。

 

地球上の人類の歴史と記憶とが真っさらになったのなら、

人類はどういう生き方をしていくのでしょうか。

 

また物を奪い合い、土地を奪い合い、戦争をするのでしょうか。

 

 

 

 

核融合技術の進展の果てに、世界が変わり、もう元に戻らないのなら

 

そのことを学んでどうこれから生きていくのか

 

私たちは次世代に向けて考えていかなければならないと思います。

 

ここを見ている人、ひとりひとりに発言力と行動力があり、平和に向けて一緒に考えてくださること願います。

 

私ひとりでは叶いそうにない大きな平和と夢も

いつか、いつの日か叶う日が来ますように

みんなの願いも叶う日が来ますように